【限定無料公開】スケボー堀米雄斗の恩師が語る新たなスポーツの価値観 #01
【METHOD=2021/12/15】日本人選手の活躍が日本中を沸かした東京2020。その中でも新たに採用されたスケートボードの新たなスポーツの価値観に気づいたスポーツファンも多かったのではないだろうか。多くの課題を抱える日本スポーツの指導論に新たな価値観を見出し、金メダリスト堀米雄斗のサポートをしてきたスケートボード日本代表コーチ早川大輔氏がオリンピックの裏側や自身の指導論を語った。(全2部構成の前編#02で後編に続く)
「新時代」のスポーツ指導者像を語る
【目次】
- 1日のルーティーン
- 過去のスポーツとの出会い
- 選手時代のキャリアについて
- 指導者キャリアについて
- 指導者としての事件や障壁とは
- 指導をする上で大切にしている事とは
- 指導する上で正解とは
- 悩んだ時の対処法とは
- 東京2020までに準備した事とは
- オリンピック開催を迎えた時の心境
▼【本編動画】
指導者とは自分では思っていない
──最初のスポーツとの出会いを教えてください。
小学生のときは地域の少年野球のチームに入っていて、試合したり練習したりっていう日々がありました。でも身長もすごく小さくて体もあまり大きくなかったんで、ポジションがどう頑張ってもいいところはなくて。結構いろんなポジションを転々として、決まった良いポジションを与えてもらえなかったっていう思い出があります。
高学年になって、活発なんだけど体が小さかったりとか、落ち着きがない感じがあったのが目立っていて、小学校の高学年から中学生ぐらいにかけてイジメにあっていて、様子が変だなっていうのを母親が察して、そこから鍛える意味合いなのか少林寺拳法に通わせてくれて。
それが僕的にも面白くてあれよあれよという間に中学生の間に黒帯締めるぐらいまでになれて、都大会とか決勝まで残ったりとか、そういうちょっと個人で頑張れば結果が出るっていうのが面白くなってきたというか、気づいた部分がありました。
ただ殴ったり蹴ったりじゃなくて、精神的な修行というか、そういう練習もあって。いろんな教訓を暗唱したりとか、瞑想したりとか、そういうのもそのときに経験して、精神的に鍛えられてるのかなって幼いながらに思ってたのがいい経験かと今思ってます。
──選手としてのキャリア
スケートボードは13歳で始めたんですけど、大会に出始めたのが18、19歳ぐらいで結構遅くて。
20歳になって全日本スケートボード協会っていう日本国内のプロ資格を取ってプロのコンテストに出れるようになりました。なのでプロとしてのキャリアは日本の中だけですけど、一応20歳からスタートしました。
──指導者キャリアの始まり
正直言うと指導者とは自分では思っていなくて。これはスケートボードのカルチャーがそもそもそういうものなんですけど、スケートボードを先にやってる先輩とか、いろんなことを教えてくれる先輩っていうのはもちろん沢山いるし、そういうのを伝えていく後輩とか下の世代ってのはたくさんいるんですけど。
指導者として誰かに師事してとか、そういう文化がないので自分も指導者としてやってるっていう意識は特にないです。なので、スケート仲間とか、スケートの先輩後輩とか、ごく自然な形で選手というかその他のスケーターとも接してます。
オリンピックを目指すためにスケートボード頑張ってるっていう価値観をまずなくしてあげたいと思ってる
──指導者として事件とか、何か障壁があれば教えて下さい。
指導者っていう立場じゃない感覚でいるので、正直言って僕もうまいスケーターに単純に憧れてるんですよ。かっこいいスケーターに憧れてるんです。
ただそれが自分より下の世代で出てきてオリンピックを目指すっていうスケーターだったりするだけの話なので。
やっぱりかっこいいし、みんなが目指すところに行ってほしいっていう気持ちが強くて。そのために自分ができることを何でもしてあげようっていうか、応援しようという気持ちで接しているので。
スケーターたちがちょっと夢に手が届かなそうだなとか、自分で判断して諦めてしまったりとか、スケートボードから楽しさが消えちゃって、少し離れようかなっていうのを見ちゃうと結構つらいですね。そこが一番スケーターとして寄り添っててつらいときですね。
──オリンピックを目指す若いスケーター達へのメッセージ
わかりやすく言うと、本当はオリンピックを目指すためにスケートボード頑張ってるっていう価値観をまずなくしてあげたいと思ってるんですよ。
周りからのプレッシャーで、競技としてのスケートボードっていうのを頑張ってるのかもしれないけど、そこに行き詰まったときは、なるべくそういう価値観を壊してあげて、スケートボードっていうのは本当に自由で、楽しくて、クリエイティブで、人生を豊かにするものだと思うから。
どういう方向性でやっていくにしろ、滑り続けてさえいれば、絶対いいことが起こるし、それが何も間違いじゃないっていうのを伝えたい。
だからオリンピック目指さなくても、好きなスケートボードしてれば絶対お前は楽しいし、幸せを感じるから「とにかく滑ってよ」ていうのは伝えるようにはしてます。
──ネガティブな感情の回避方法とは?
これはですね、簡単です。(スケートボードを)滑ることです。僕もこういう仕事させてもらって、やる前より完全に悩みは多くなっているし、選手と付き合う時間が長ければ長いほど、悩みは増えるし、オリンピックに関しても大人側の事情もたくさんあったりとか、でもスケーターとしての気持ちでそれに向き合わなきゃいけないとか本当にたくさんのことが起こっていて、、、、。
自分も何やってんだかわかんなくなってきちゃったりとか、本当に俺はこの人生でいいのかとか、結構悩みは尽きないんですけど、でもはっきり言って悩んでも全然意味ないというか。
そこで答えが出るぐらいだったらもうとっくにやってるだろうしって考えると、もういいや滑ってこようみたいな感じになって。
板持って、思いっきり汗かいて、滑って帰ってくると悩んでたこと自体も、タイミングがくれば解決するかっていうか、何かあればその時対応すればいいやっていうマインドに変わるんで、悩んでるぐらいだったらまず滑ろって感じです。
若い才能に自分の経験が生かせれば幸せだなって思って彼のサポートをずっと全力でやってた
──スケートボードが正式種目に選ばれた時の心境とは?
正直オリンピックが決まった瞬間には、何の準備もしてなかったですね。オリンピックってもの自体がいまいちピンと来なかったし、スケートボードはオリンピック競技になるっていうのも、本当ふざけたアイディアとして話はしてましたけど。
実際に現実に起こるっていうのが、なかなか具体的な想像というのはできなかったんで本当に準備なんか全くないですね。
ただ、その前に今回金メダルを取れた堀米雄斗のことはフックアップできていて、彼の夢としてアメリカで世界的な有名なプロになるっていう夢があって。
同じ夢を見てる若い才能に自分の経験が生かせれば幸せだなって思って彼のサポートをずっと全力でやってたんですよ。
そのアイディアだったり方向性だったり、そのサポート内容っていうのが、オリンピックでの成績に繋がったんだって、そこは自信があるので間違いではなかった。
オリンピックは後から決まってくれたけど、その世界のトップを目指すスケーターのためにサポートするっていうのはオリンピックも含めて本当に間違ってない必要なことだったんだなって思います。
──東京2020本番を迎えた時の印象
これちょっと不思議で、僕も周りの他のスタッフに話したりしたんですけど、過去サポートしてきたコンテストとか現場で一度もないぐらいなんとも思わなかったんですよ。緊張してないなっていうか、なんとも思ってなくて。(笑)
ただ確実に各種目メダルを取るし、(堀米)雄斗に関しても金メダル取るし、女子ストリートも金メダル取るし、なんかそういう予想は揺るがなかったんですけど、何の緊張もなくて、ちょっと自分でも逆に戸惑うぐらい不思議な感じでした。
コンテストが進んでいってオリンピック終わった後にメダルを取って、セレモニーとかインタビューとかになるだろうっていうそこら辺の想像はできてたんですけど、競技中にアクシデントが起きたりとか、いつも通りの実力出せなくて成績でなかったらどうしようとか、そういうのも全く感じなかったですね。なんか自信しかなかったっていうか。不思議でした。
なんか笑顔で馬鹿みたいなことを話をして、リラックスした雰囲気だなあって思いながら、
いいぞいいぞとは思ってたぐらいで。本当に何の緊張感もなかったですね。(#02 後編に続く)
早川大輔(はやかわ・だいすけ)
東京生まれ。日本オリンピック委員会スケートボード日本代表コーチとして活動。東京2020では少年時代からサポートを続ける金メダリスト堀米雄斗を含め、日本代表を計5個のメダル獲得へ導いた。
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